2019年。クエンティン・タランティーノ監督。とても良かった。最近のタランティーノ映画はどれもあまりピンとこなくて、でもまあ、それなりには面白いかな?と思う程度だったのだけど、今作はとても良かった。タランティーノの描くおとぎ話としてのファンタジー性が形や実感を伴っていて、ここ最近のいやらしいタランティーノのポリコレバランスがとてもいい具合に画面に表現されている気がした。
本作は、3時間近い映画で、終始楽しく見応えのある作品かというと、部分的には少々ダラダラとした印象も受ける。しかしこの長い上映時間を退屈していたかというと意外なほどに退屈はしなかった。どの場面もそのキャラクターの立ち振る舞いが面白い、いや、というよりも、あのディカプリオが、あのブラピが演技をしているということ、そのこと自体に華があり見応えがある。俳優という職業をテーマにした映画で、やたらと見ている側にそうしたメタ意識を求めてくるような図々しさがあるけれど、観客としてもそれが全然嫌じゃないというか、そういう観賞スタイル自体を結構楽しんでしまうところがある作品だった。
ヒッピーたちが住処としている牧場でのシーンはその集約点という感じで、無駄にサスペンスフルな作りであり、観客に散々ハラハラを唆しておきながら、スッと肩透かしを喰らわせたかと思うと、その後にキッチリとブラピに気持ちよく暴力を振るわせてサービスもしてくれる。こういう翻弄のされ方を面白いと思うには観客側にある程度の努力が必要だろう。この映画はそういう意味で、ものすごくインタラクティブな映画だと言えるのではないかと思う。観客側にそうした「ノッてやろう」という気持ちがないと、楽しみにくいところがある気はする。ただその点は『パルプフィクション』からしてそうなのかもしれず、タランティーノという監督の持ち味なのかもしれないなと思う。
また「セレブに近い白人」というのは、昨今ものすごくドラマになりにくい存在であるのかもしれないが、これをタランティーノが見事に描き切ったというところが大変面白い。ポリコレ仕草の偏差値が高いタランティーノは単なる優等生であるというよりは、本質的に脱政治的であることの天才であるのかもしれない。シャロン・テートを救うことで、その時代を殺してしまったヒッピー文化さえ、逆説的に救う。ヒッピーたちをピュアに殺しまくることで、彼らを救うというのは、恐ろしいほどに政治性というものがない、あまりに子供っぽいというか、素朴さを感じる。タランティーノのおたくっぽさというのはそういう姿勢にあるのではと思う。