映画と映像とテキストと

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『ジョーカー』を観た。

2019年。トッド・フィリップス監督。なんとも中途半端な映画だった。アメコミの要素を使わなくてもいいんじゃない?とも思うし、別に使ってもいいんだけど、なんというか社会派ドラマとしても実に安直であるように思う。狂気というものを描くのに器質的な問題から来る「笑い」が一つのアクセントになっているのは、どういう意味があるのだろう。おそらく単なる「障害」の一つとして以上の意味はないんじゃないだろうか。あんまり考えはなさそうに思える。

 

ダークナイト』も子供っぽい映画ではあったわけだけど、どこかその子供っぽさに対して自覚的であった。しかし『ジョーカー』は「おれは大人なんだぞ」と必死で見せつけてくることに、ほとんど恥じらいがなくて、なんだか痛々しさもある。悪への理由づけに終始して、悪として一線を超えることのリアリティには恐ろしく無頓着でもある。そのくせ理由づけの部分もなんだか中途半端に思う。例えば母親の病気のくだりとか要るだろうか。「意外性」とか「ショック」以上の意味があると思えない。「母親にも裏切られたような気持ちになったのだ」と言いたいのだとしたら、なんともその凡庸さと都合の良さにクラクラする。長年暮らしててアーサーが全然それに気が付かないって、どうなのだろう?百歩譲ってその都合の良さには目を瞑るとしても、結局のところ本作は凡庸な「理由づけ」に逃げてしまっている。「理由のない悪」を描くことから逃げて「こうなのだからこうなったのだ」と答えを与えて終わってしまっていることがこの作品を卑小なものにする。「弱き者」を描きながら、心のどこかで「弱き者」をどうでもいいと思っている自らの傲慢さが端々でバレてしまっている。

 

また福祉サービスの打ち切りを描くいうことは、現代社会への警鐘ということも言いたいのだろうが、貧困層が「金持ちを殺せ」とならずに「移民を殺せ」となることの方が、よほど現代のリアリティではないだろうか。なんだかそういう社会の描き方にも安直さを感じる。いちいち細部の凡庸さが気になる映画だった。ダサい。