映画と映像とテクストと

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『牯嶺街少年殺人事件』を観た

1991年。エドワード・ヤン監督。長い映画だが、映画が始まったその最初シーンから、そこに映る画の見事さに惹きつけられる。どのシーンも「こうでしかない」と感じる構図ばかりが出てくることに、本当に奇跡だという感覚を抱き、エドワード・ヤンの凄さにややたじろぐような心持ちがする。

 

少年はなぜ殺人事件を起こすに至ったのか?に対する合理的な説明があるかどうかは重要ではないだろう。時代もそうだが、極めて私的で矮小な理由も最後の事件に至るための重要なピースであり、不条理は全て少年という属性に吸い込まれる。その竜巻の渦のような力強さこそが作品の核だろう。クーリンチェの少年には正に世界と自分とが重ね合っているように思える。安易な連想ではあると思うが、マジック・リアリズム的なものも感じる。

 

物語の終盤、不良で散々イキっていた主人公の友人(滑頭 ホアトウ)が、シレッと真っ当な人間になっていることへの主人公の憤りというのは、決して合理的な憤りではない。けれどそれはどうしょうもなく暴力へと駆り立てる要因の一つになったことは、これ以上ないくらいに伝わってくる。とてもエモい話ではあるのだけど、そのエモさの弱さを感じさせない。なんだかよくわからないのに、この映画の中で起こるすべての事態に納得感がある。すごい映画だった。人生の中の映画ベスト10に必ず入る1本だった。