映画と映像とテクストと

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『栄光のル・マン』を観た

1971年。リー・H・カツィン監督。『フォードVSフェラーリ』が大変気に入ったので、参考作品としてこの作品を見た。同じルマンを舞台にしているが、今作はポルシェ対フェラーリ。主人公のスティーブ・マックィーンはガルフカラーのポルシェ917に乗る。ルマン式スタートが廃止された1970年を舞台にしているので、『フォードVSフェラーリ』よりも後の時代ということになる(とは言え、数年違いの1966年)。

 

映画の大半を占めるのはレースシーン。Blu-rayに収録されている特典映像メイキングでも言われていたが、ほとんどドラマらしいドラマがない。セリフもほとんどない。ストイックにも見えるその尖った作りは、今見ると逆にアーティスティックな作品であるように思える。ドラマとしては淡白ながら、ただ車が走るということの面白さは十分に伝わってくる。『フォードVSフェラーリ』よりも車の走るシーンには魅力があるように思えた。

 

この作品の女性の描き方を見ると、『フォードVSフェラーリ』は今の映画だなと感じる。『栄光のル・マン』に出てくる女性は、男のロマンを理解しないで、静かに耐え忍ぶ存在だ。その女性の無理解さが逆に男のこだわりを(かっこよく)際立たせる。しかし『フォードVSフェラーリ』に出てくるレーサーの妻は決してレースに無理解ではないし、むしろレーサーである夫よりもレースを続けることを促そうとさえする。夫に腹を立てるのも嘘をつくことに対してであり、命の危険を顧みないその生き様に対してではない。『フォードVSフェラーリ』を見たときは、その女性の描き方が随分と「男に都合のいい存在」のように思えたが、『栄光のル・マン』を見た後だと見え方がかなり変わった。『フォードVSフェラーリ』の女性は、個人としての意思を持った、ステレオタイプな女性像からは距離を置いたキャラであったのだなぁと感じる。

 

『栄光のル・マン』は、エンタメとしてはかなり独りよがりな作品であるかもしれないが、その寡黙さがほとんど西部劇のような美しさであり、不思議な見応えがある作品だ。