映画と映像とテクストと

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『時をかける少女』を観た。

1983年。大林宣彦監督。尾道は確かに絵になる。ただ、何がこの映画の魅力であるのか、最後までよく分からなかった。SFとしての物語は、普通に楽しめるもので、なるほどと思うわけだが、これが映画として何を見せたいのか分からなかった。自分には大林宣彦が撮りたいものを感知するアンテナが欠けているように思う。

 

原作を未読なので分からないのだが、ラストのリーディングシュタイナー的な要素は、やはりその展開が持つ甘さというのが、結構くどく感じてしまう。普通にSF物語を描くのならば、「彼らは一切思い出の記憶を持たず、互いに気づかなかった」とする方が普通だろうと思う。だからこそ、その甘さの構造に「リーディングシュタイナー」という名前を付けた『シュタインズゲート』は面白いなと思う。名前が付けられることによって、そのくどいほどの甘さは、どこか構造的なもののようにやや食べやすいものへとアップデートされる。

 

少女的なもの、思春期的なもの、恋愛、友情、学校、性、そういうロマンの入れ物になりやすい要素が、そのままロマンの入れ物として差し出される大林版『時をかける少女』の直截性には、随分とやられてしまったところがあって、少々、胃もたれを起こした。決して傑作ではないかもしれないが2006年の細田版『時をかける少女』ぐらいの方が素朴に楽しめる。そんな細田版も、もはや14年前の作品だと思うと、めまいがするのだけど。