映画と映像とテクストと

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『ベニスに死す』を観た

1971年。ルキノ・ヴィスコンティ監督。凄かった。高校生の頃に見たときには、「おお、なかなか面白い映画じゃないか」なんて気取ってハスに構えていたが、この年になって見てみると、もう刺さりまくるのなんの。

 

通俗的陰キャの初老の芸術家。もう、この歳になるとみんな盛りの過ぎた芸術家なんだろうなって思う。俗っぽくて、でも鼻持ちならないプライドはあって、卑しいものからは遠ざかるんだけど、どうしようもなく卑しい。これは芸術と死と生の映画だとよく言われるけど、自分にとっては老いの映画だった。

 

浜辺の建物の造形と色彩が実にいい。カジュアルだけど、どこか気高いような。なんというか、作りたいもの作ったなという、警戒したくなる感じもあるんだけど、やっぱりその描写の的確さで説得されてしまう。面白かった。

 

あと、伝染病の話は、今見ると、なかなか味わい深くもある。観光地が伝染病の噂を必死に隠そうとする様を見ていると、こういうことはどの国もすることなんだなぁ、と少しホッとするような気持ちも抱く。そう言えば『ジョーズ』もそうだったか。映画では、伝染病対策をする街の様子に、アッシェンバッハはやや嫌悪感を抱いているような感じだが、原作では倒錯的で、その街の隠匿的で背徳的な感じにある種の好意を感じている点が面白い。コロナ禍によってなぜだか奇妙な情熱が燃え盛る感じと言うと、少し分かるような(分からないような)気もする。

 

原作を読むと、特に第二章にあるアッシェンバッハの芸術感や人となりが、結構映画版と違う印象を受ける。原作の方が、芸術家としてもう少しややこしいというか、破天荒さもあったけど、どんどん保守化していったという変遷が興味深い。映画はもう少し一貫して堅物であり、堅物ゆえの通俗性が素朴に前面に出ていると感じた。また、辛辣な事を言うアッシェンバッハの友人は、完全に映画の脚色で、最も印象的なセリフでもある「君の芸術の根底にはあるのは、凡庸だ」も原作にはないものだった。ルキノ・ヴィスコンティ自身、自らの作品に向けて語るような気持ちがあったのかもしれない。トーマス・マンの原作では、もう少し芸術の深淵に言葉で触れようとする姿勢が感じられる。一方、映画はより「老い」、そして人間であるアッシェンバッハ自身に焦点が当たっているように感じた。トーマス・マンが原作を書いたのが38歳。ルキノ・ヴィスコンティが本作を作ったのが65歳なので、そう言う面もあるかなと思う。いずれにしても原作も凄い面白い。

 

ところで、原作では職業は作家だが、映画化に際して音楽家へと翻案したのは、なかなか良かったように思う。