映画と映像とテクストと

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『アパッチの怒り』を観た

1954年。ダグラス ・サーク監督。サーク監督の西部劇!ということでかなり楽しみにしていた作品だったが、やや肩透かしを喰らったような、素朴に面白い作品というわけではないかった。しかしこれは「サークの映画だ」という意識があるからかもしれないが、80分間、全然退屈しないで見れてしまったことも確かで、なんというかどのシーンも人を惹きつける力がある。サークらしい「見れてしまう」感を感じる映画だった。

 

チリカワ・アパッチ族の酋長を引き継いだターザが主人公で、演ずるのはロック・ハドソン。肌を褐色に塗り、ネイティブアメリカンとしては違和感バリバリで主役を張る。文化盗用批判は、日本人にはどうも馴染みがなくて「黒塗りくらいで、そんなうるさく怒ることないんじゃない?」なんて普段から思うような人でも、この作品を見ると日本人とネイティブアメリカンとの人種的な近さもあってか「文化盗用だ!って批判が存在することも理解できるなぁ」と多少は思えるのではないだろうか。

 

この映画、微妙に気持ちよくなるところをちゃんと避けているところがサークらしいなとも思える。平和なんてあり得ないし、争いは避けられないものというリアリズムを双方の立場から部外者的にひたすら描写するんだけど、最後はものすごく都合よく平和へと回収されていくところが、メロドラマ的でもあって、それがこういう政治的なテーマでも適用されていることが面白い。ぼぅっと見てると、最後になぜロック・ハドソンは白人たちの味方をしたのか、なんで砦から逃走したのか、よく分からない感じになる。普通に考えて、自ら「アパッチ族を裁くのはアパッチ族だ」を実行するために、ジェロニモを追いかけたのだと解釈すれば良いのだろう。いずれにしろ、ロック・ハドソンネイティブアメリカンになったり、軍服を着たりと、右往左往しているように見えるところが恋愛劇のシーソーのようでもある。そういう描写にアイデンティティの揺らぎを感じ、その上でそれをあけすけに言葉にしたりしないところも渋い。

 

中盤のバーバラ・ラッシュが水浴びするシーンで「お、お色気シーンきた」と思うんだけど、父親に折檻されていることを背中の傷跡で見せるという重要なプロットを伝えてくるところは本当に良いシーン。セクシーシーン来た!の気持ちを折る感じが素晴らしい。

 

と、つらつら考えるに、結構面白い作品だったのかもしれないなとも思ったり。なんにせよ80分という短さはすごいし、とても良かった。