映画と映像とテクストと

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『ドント・ルック・アップ』を観た

2021年。アダム・マッケイ監督。彗星激突をめぐるコメディ映画。面白かった。『マネー・ショート』や『バイス』は見ていないけど、こういう映画を作る人なんだね、アダム・マッケイという人は。『アントマン』の脚本を書いてるとのことで、確かに『アントマン』は複雑なプロットがキレイに整理されていて見事なシナリオだった。そして、本作もなかなかに詰まった作品。豪華キャストとは言え、この詰め詰めな感じは『シン・ゴジラ』のようなチープさにもつながっていて、それゆえ見やすい作品だなぁとも思った。その食べやすさや満腹感がジャンクフードのようでもある。

とても面白かったのだが、『博士の奇妙な愛情』などと比べると、どうも愛着の湧きにくい映画であるなと思った。メッセージが明晰すぎる、というのはあるかもしれない。もちろん『博士の奇妙な愛情』であっても同じようにメッセージは明確だ。違いがあるとすると、批判したい対象、愚かなキャラクターへの姿勢が、結構『ドント・ルック・アップ』の方が容赦がないと感じた。例えばアメリカ大統領のメリル・ストリープは最後、惨めな最期を迎えるわけだが、その描写もあくまでコミカルでそのコミカルさゆえに余計に冷たいとも感じる。例えばこれがシリアスに不幸な最期である方が、その強大な権力者にふさわしいとも感じられる。しかし、あのメリル・ストリープの最期は、あくまでこのキャラクターを卑小な存在として描きたいのだなという印象を受けた。

アリアナ・グランデもどちらかと言えば「良いもの」としての立ち位置だが、気持ちよく歌い上げてそれで終わりというのは大いなる皮肉になっている。『博士の異常な愛情』の方が愛着が湧きやすいと感じるのは、正義への素朴な希望を持つことを実は諦めていないと感じられるからかもしれない。『ドント・ルック・アップ』は全方位で全てを皮肉り、ほとんどどこにも希望の目はなさそうであり、正義を信じている人間にさえ、「でも、それで本当に正しいことなんかできるの?」と平気でツッコんでいきそうな軽薄さがある。それがアメリカのインテリの空気、なのかもしれないが、それは結局のところ八方美人の裏返しのようにも思えて、座りの良くない気持ちを感じる。もちろんその座りの良くなさはこの映画の目的とするところだろう。ただ、この映画を笑える自分に浸れる間は確かに楽しいのだが、ふと冷静になってみると、とても寂しさを感じてしまう。『ドント・ルック・アップ』は長く愛されにくい映画のような気がする。