映画と映像とテクストと

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『シン・エヴァンゲリオン 劇場版:||』を観た

2021年。庵野秀明総監督。今の日本のアニメの実力がこれなんだと思うと、少し寂しい。いや、庵野さんが別に日本の代表というわけでもないんだろうけど、なんというかこんな子供っぽい物語を描くことに注がれた心血の量を思うと、茫漠とした気分になる。おそらく気の遠くなるほどの努力と熱意と才能が注ぎ込まれたのだろう。25年経っても、この程度の話しか描けないということは、やはりエヴァには「何もなかった」ということが改めて明らかになっていて、でも劇場版は毎回それを明らかにしているようにも思うし、なんなら、この結論も25年前から散々言われてきたことだったような気もする。「何もない」ことを分かった上で楽しんできたのではないかと言われればそうだが、「何もない」という声がもっと大きくても良かったと毎回話題になるたびに思う。この作品を観た帰り道には、『スパイダーバース』のことばかり考えていた。ああいうアニメが作られて評価されている世界って良いなと素朴に思った。社会に対して誠実であるから良いとかって話ではなくて、単純に「分かりやすくて良い」と思う。もちろんプロットの複雑さという話ではない。

 

本作は、子供から大人になるという「成熟」が一つのテーマになっている。しかし、登場するどの大人たちも、あまりに平板で魅力に欠ける大人としてしか描けていないことが悲しい。トウジもケンスケも、地道にみんなのために生活や生命を支える仕事に従事する良き市民であり、確かにそれは大人であることの一面であるだろう。この作品は「仕事を黙々とこなす」以外に大人であることを表現する術を持っていないような印象を受ける。

 

この世界の片隅に』の主人公や『崖の上のポニョ』の主人公の母親などは、全くえらそうなことは言っていないが、実に大人であるなぁと感じた。その事務的な感じ、他人への配慮、わがままさ、選択肢への距離感、子供への態度。もちろん、『シン・エヴァ』に出てくる大人たちもエラソーなことを言ったりしないという点において、辛うじて節度ある表現はできていたと思う反面、庵野秀明にとって大人とはどういうことなのだろうと疑問に思わざるを得ない。彼にとってまともな大人とは「黙々と与えられた仕事をする人間」の意味ぐらいしか持っていないのかもしれない。

 

よく言われることではあるが、日本のアニメ(という乱暴な括りが許されるなら)はとにかく大人が描けていないと感じる。結局それは、子供も描けていないのではないか?という疑問にも繋がるのだが、まあ、そこは置いておこう。しかし成熟をテーマにするならば、もう少し多面的でまともな大人を描けてても良いのではないか?ということを思ってしまう。これは『シン・ゴジラ』や細田監督の映画にも言えることかもしれない。

 

私はもう少し子供っぽくない物語を見たい。しかし、それは別に日本のアニメに期待すべきことでもないのだろう。

ところで、2時間半、全然退屈することなく楽しく見れたことは、本当に良かった。さすがだと思う。