映画と映像とテクストと

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『グラン・プリ』を観た

1966年。ジョン・フランケンハイマー監督。『フォードVSフェラーリ』を観て以来、いつか見ようと思っていた『グラン・プリ』を観た。面白かった。部分的には、大袈裟すぎるとかベタすぎるような感じもあるのだが、レースシーンの見応えと、説明しすぎないやや食い込み気味な編集で、実にテンポよく楽しかった。面白かった。

 

女はレースの醍醐味を理解しないけど、そういう女を置き去りにしてレースに命を賭ける男たちのロマンがステキ、というのがすごく素朴に表現されていて、そこも『フォードVSフェラーリ』との違いとして面白い。しかし本作はそういう素朴さ(?)を持ちつつも、レースの「バカバカしさ」に自覚的な男たちというのも描こうとしていて、ある意味贅沢というか、勝手というか、しかし何か深みが有るようで無いような、そういう味わいが独特でもある。

 

ホテルの部屋に飾られているレースシーンの絵画から役者の顔へとカメラが移る流れが何度かあったのが、気になった。あの安っぽい感じの絵画がなんというかレースの持つロマンを象徴しているようにも思える。考えすぎかもしれない。

 

三船敏郎は実に堂々たる印象。背の高いジェームズ・ガーナーと並んでも負けてる感じがしない。最後に三船敏郎率いる日本車勢が優勝するわけだが、それに搭乗するのが落ち目と見られたアメリカ人ドライバーというのも、なんというか今では描かれない構図か。もう1966年というのは、日本という存在にそれくらい存在感がアメリカの中でもあったのだろうか。生まれる前なのでよく分からないが、2020年の今と比べると隔世の感がある。三船の英語セリフは吹き替えと聞いたが、確かに声が違う気がする。後半の「ガソリン!」の声は本人の声に聞こえる。

 

『栄光のル・マン』はレースシーンの強引な魅力で惹きつける作品だったが、本作はドラマ部分の尺が長く、また作品としてそのドラマが重要な位置づけとなっている。『グラン・プリ』のレーサーはレース以外では恋愛事しかしてないのか?というお茶目さは置いておいても、それぞれのキャラの明確さとラストのレース結果との対応づけが実にドラマティックで面白かった。いい映画だった。