映画と映像とテクストと

映画や読んだ本などの感想を書きます。ビデオゲームについてはこちら→http://turqu-videogame.hatenablog.com/

『閃光のハサウェイ』を観た

2021年。村瀬修功監督。ガンダムシリーズは、特に宇宙世紀シリーズは、人間ドラマを重視しているように見せかけて、その実、女性キャラを全く説得的にも現実的にも魅力的にも描けていない。もちろん、その事実はみんなが知るところだろうが、そもそも男キャラだって描けていた試しがないというのを改めて思い知った。例えば、アムロの親への葛藤が「彼にも色々事情があるんですよ」ということを極めて記号的に表現する以上に、その設定に意味はない。彼の戦いもニュータイプへの戸惑いも、決して上手く連関して描けているわけではない。本作のハサウェイも同様である。ただ、例えばギギの裸を見ても動揺しないハサウェイなど、それなりに考えられてもいて、そのシーンが原作にあったのかどうかは分からないが、色々頑張って描こうとしている割には、やはりどこか薄っぺらいなという印象は拭えない。しかしその薄っぺらこそが、受容のしやすさにも繋がっているのだろうし、まあ、それがガンダムシリーズの一つの魅力というか特徴なのは間違いないと思う。その意味で、やはり最高傑作は『逆襲のシャア』なのかもしれない(薄っぺらいことから逃げていないように見える、という意味で)。

あと色々と少しずつダサくしなければならないルールというのがガンダムにはあるのだと思う。そして『閃光のハサウェイ』のこのダサさは、世評の高さから、ある意味、多くの人が求めていた何かなのだろう。原作を読んだのはもう20年以上前で、正直、ラスト以外何も覚えてないのだけど、多少は原作からモダンにアップデートして本作が作られている気がする。しかしちゃんと古臭くて、そこがやはり今見ると「?」と思うところも多い。もちろん「『アップデート』など下手にされたら興醒めだ」と思う人もガンダムファンには多いのかもしれないが、それでもギギの描き方には、「いまさらこれかよ」とも思う。古臭いようでいて、ボトムズのフィアナほど典型的なキャラとする覚悟もない、中途半端に少年漫画から飛び出てきたようなファムファタール。一方、ハサウェイの昔の女を忘れらないという要素も「薄っぺらいトラウマ」を表す記号でしかなく、なんでそんな淡白な人間描写で、テロリストや戦争をシビアなものとして描けると思うのか、いやむしろその無謀さこそがガンダムの魅力ではあるけれど、本作もまたその無謀さを丁寧に説明してくれるわけではなく、モヤモヤとする。ただ、この世界を丁寧な作画に落とし込んでくれたことへの感謝というのはあって、これ以上はもう古参のファンしか、本当について来れなくなってしまうのではないだろうか。早く、まともな話が書ける人を連れてきた方が(福井晴敏ではなく)、長い目で見て、ガンダムというブランドは長生きできるんじゃないか、とか余計なことが、気になってしまう。本作はとても素敵な作品なだけに、このノリは色々と不安になるところがある。三部作の残りの2作はどうなるのだろうか。でも一作目としては十分に楽しめる作品ではあったと思う。