映画と映像とテクストと

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『追われる男』を観た

1955年。ニコラス・レイ監督。日本語タイトルがなぜ「追われる男」なのかは、最後までよく分からなかったが、大変素晴らしい映画だった(原題はRun for cover)。参った。

主人公マットは愚かな若者テッドを庇い続ける。物語としては死んだ息子の面影を見るからこそ、マットはテッドを気にかけるという建て付けになっているが、マットはずっと冷静にテッドのことを見守っているのではないかと思う。情けなくて、人のせいにして、根性もないテッド。そんな男をただ哀れに思うからではなく、また息子に引きつけるからこそ同情するのではない。人生の苦難を真正面に受け止め、無実の罪でも刑期を引き受けた男だからこそ、逃げないで立ち向かう。目の前の若者も、きっかけは死んだ息子を想起するからかもしれないが、それ以上に人生の苦難を逃げずに受け止め切るべきだとマットは思い込んでいるからこそ、テッドを庇い続けるのではないか。それは家族的な愛情というよりも、むしろ、頑なまでの自分の、マット自身の人生の生き方の問題なのではないか。その不器用さが報われない、そういう結果をただ受け止める男の物語であり、そういう男への静かな讃歌であるのだろうと思う。マットがテッドを撃ち殺したことはもちろんマットにとって悲しみであったろうが、彼は思いの外、それを是非もないことと納得しているのではないか。そんなことを感じてしまう映画だった。