映画と映像とテクストと

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『ドーン・オブ・ザ・デッド(ディレクターズカット版)』を観た

2004年。ザック・スナイダー監督。かの名作『ゾンビ』(1978年)のリメイクを作るというのは、なかなかどうして勇気のいることだろう。ショッピングモールという舞台設定だけが同じで、あとは全く異なる作品になったが、素晴らしいゾンビ映画であると思う。

 

本作の魅力は登場人物たちの持つ魅力に因っている部分が大きい。例えば、銃器店のアンディ。ショッピングモールの屋上と銃器店の屋上とで、双眼鏡とスケッチブックで会話をする。ほとんど顔も見えないし、声も聞こえないアンディの存在が、不思議と癒しのように思えてくるのが面白い。おそらく明確なコミュニケーションが取れないことでより一層アンディがいい奴に見えるのではないだろうか。また、CJもなかなか良いキャラだ。CJとの序盤のやりとりなどは『ゾンビ』続編の『死霊のえじき』(1985年)の軍人の存在を少し想起させる。CJは最初は憎たらしいが、後半には段々と好感度を上げていき、最後にはかっこいいところを見せるのが良い。ティム・ロス風味の主人公格マイケル(ジェイク・ウェバー)も、この状況になる前では全く冴えない男である。彼は、そんなゾンビサバイバルにおいてほとんど役に立たなさそうな設定でありながら、観客のイメージする「普通の人」を最も心地よく表現したキャラクターであり、誰もが彼を応援してしまう。ところで、犬を助けにいくために無謀なことをするニコールは反省した方がいい。

 

スナイダー監督お得意のスローモーション演出は控えめながら、さすがだと感じた。スローモーションって、安易に使うと基本ダサいんだけど、そのダサさを骨抜きにして、適切に使ってくるスナイダーは改めてすごいと思った。

 

設定と展開で魅せるオリジナルとは異なり、キャラクターの魅力で観客を楽しませる本作は、脚本のジェームズ・ガンザック・スナイダーの力量の確かさを示す重要な作品でもあると思う。

『真昼の決闘』を観た

1952年。フレッド・ジンネマン監督。わずか90分に満たない映画ながら、実に緊張感が漲っていて、見ていて本当に楽しかった。なぜ男は結婚したての日に妻の制止を振り切って、街に残ろうとするのか。その理由を問われ、「よく分からない」とするところが素晴らしい。正義のためであり、街のためであり、プライドのためでもあり、男のあるべき姿へのこだわりでもあり、同時にそのすべてでもない。3対1という不利な状況をどのように乗り越えるか?というようなところにはほとんど重きが置かれていないところが逆に面白い。悪党をほぼ1人で3人やっつけるような凄いことを成したとしても、決してヒーローではない。ヒーローではない男のカッコよさ。

 

映画が始まってから、ほぼリアルタイムに物語が進んでいくという趣向もたしかに魅力であった。面白かった。

『パラサイト 半地下の家族』を観た

2020年。ポン・ジュノ監督。素晴らしかった。面白かった。同監督の他作品では『グエムル』しか観ていなかったし、『グエムル』もそこまでおもろかった印象はなかったので、本作は期待以上に楽しかった。

 

展開の面白さとテンポの良さなど、作劇に対する評価はおそらくどんな人にとっても高いだろうと思われる。一方で「話は面白いけど、そこまでの作品でもないよね」という評価が結構あることは興味深い。たしかにそう言いたくなるところがある。素朴に言えば、エンタメに寄りすぎてるという感じだろうか。ただ、細かなドラマの部分としても面白味が随所にあった。例えば、ソン・ガンホがパク社長に「奥様を愛してるんですね」と何回も言うところが大変面白かった。インディアンの格好をして、雇い主である社長の息子のパーティーで余興をやらせられる。そんな状況で「社長も大変ですね。奥さんを愛してるんですね」と言われることの圧倒的な嫌さ。嫌味なのかどうかさえ分からない、そんな下層の人間が発する言葉から滲み出る図々しさは、正に格差社会のリアルという感じがした。『グエムル』の時も思ったが、ポン監督は貧乏人にそんなに簡単に同情とか哀れみを抱いていないと思うし、むしろ抱くことに懐疑さえ持っているように思う。表現者というのは、往々にしてそういうものだと思うが、ポン監督は特にそうした冷めた視線で社会の不条理を見つめている。だからこそ、その感情の読めなさが、突如としてブスリと社会の背中を刺しそうという、気味の悪さにも感じられる。そういう意味で、似たようなテーマである『ジョーカー』や『万引き家族』よりも作品の底にある意地悪さが感じ取られて好きな作品だと思った。

『グエムル 〜漢江の怪物〜』を観た。

2006年。ポン・ジュノ監督。比較的淡々と物語が進み、そこまで面白い映画ではなかったけれど、時折ハッとするような美しい絵が出てきてドキッとする。特にラストシーンは素晴らしかった。

 

物語の序盤から怪物の姿全体を画面に晒すところなどはJ.J.エイブラムスの『クローバーフィールド』を思い出した。怪物の姿を出し惜しみしないという姿勢が、人間と怪物の立場をフラット化する。かと言って怪物が人間と繋がるなんてことは一切なくて、本当に迷惑で面倒な害獣に過ぎない。この全くコミニュケーションを取れない怪物と人間を同じ地平で描くことに不思議と共感してしまうところがある。怪物が象徴するであろう多くの社会問題は当然ながら全て当事者の問題であるのに、それらの過酷さが自然災害のようにどうしようもないものとして重くのしかかる。当事者なのに、どこか冷めて事態を見てしまうような、そうした感情を失ったような眼差しを本作からは感じた。

 

家族の物語として考えると、主役のカンドゥがとても視聴者の共感を得るところから遠いキャラクターであることが面白かった。怠け者で間抜けで特に何の能力もない。弟や妹に比べても無能な存在。そしてその事を親もよく分かっている。兄妹たちに「あまりカンドゥを馬鹿にするな」と諭す場面が素晴らしい。無能な存在が怪物をやっつけるというストーリーラインはとても素朴で単純なようにも思えるけれど、実際に鑑賞するとそういう清々しさとは違う、どこか濁ったような感情にもさせられる。無能な人間が不必要な人間として扱われて良いのか?という問題意識を感じる。それは社会批判や風刺という側面は確かにあるとしても、決して高度にインテリジェンスに問題に立ち向かうというよりは、そうしたものへの「気分」をものすごく的確に表現しているように思われる。もう少し、自分が韓国社会に明るければ、また違った感想を抱きそうな気がする。

『キング・コング』を観た。

1933年。メリアン・C・クーパー、アーネスト・B・シェードザック監督。2005年の『キング・コング』を見たこともあり、ぜひ1933年版を見たいと思っていたら、たまたまケーブルでやっていて見てしまった。実に面白かった。たった100分でエンパイアステートビルまで展開する、その流れの良さには感心した。アンが原住民に攫われることに船員達が気付くところとか、ドリスコルが囚われたアンの元にたどり着く流れなどは、2005年版よりも1933年版の方が自然ではなかったかと思ったほど。

 

2005年版と同じなんだと思ったのは、ティラノサウルスの口を開いて殺すところ。死んだティラノサウルスの口をパカパカする部分までオリジナルの1933年版にあることを知って、ちょっと興奮した。あとやはりというか「世界第8の不思議!」の箇所は同じなんだなと思った。オリジナルを見て映画産業を志したというピーター・ジャクソンは本当にオリジナルを今の時代に蘇りさせたかったのだとあらためて思った。

 

違うところとしては、オリジナルでは原住民が原住民の若い女性をキングコングの生贄にしようとしていたのに、金髪白人のアンを見てアンを代わりの生贄にしようとするところ。確かに問題のある表現で、2005年版ではバッサリなくなっていた。また、ラスト付近で扉を破ろうとするキングコングに対抗する為、原住民と白人の船員達が協力する展開も2005年版ではなくなっていた。なんとなく分かる気もする。

 

とにかく、2005年版と1933年のオリジナル版はセットで見るとすごく色々な視点で映画を鑑賞できるので、その点はすごく楽しかった。

 

『フレンチコネクション2』を観た

1975年。ジョン・フランケンハイマー監督。ドイル刑事の前作の破天荒ぶりが、続編になって弱まったりしているのでは?などという邪推を真正面から覆してくる作品だった。というかさすがにやりすぎではないだろうか。いや、笑ってしまうくらいにめちゃくちゃである。フランスという外国に来て、フランス人潜入官は殺しちゃうし、ホテルはガソリン撒いて燃やすし、独断でシャルニエは撃ち殺すしで、ニューヨーク以上にやりたい放題で参った。唯一、ドイルがヘロイン漬けにされたことをアンリがカルテを残さないように揉み消すシーンがあったが、そんなのは放っておいても問題ないくらいに小さい話のように思える。ウケる。

 

前半は、フランス観光のようなゆったりとした進行ながら、後半になると見所を凝縮したような急展開が続く。やはり前作の方が面白かったと思うが、続編としては結構良くできていると思った。いや、見応えのある絵も多いし、ストーリーのめちゃくちゃぶりはちょっとどうかと思ったが、街にジーン・ハックマンが歩いているだけで見ていて楽しくなってしまう映画だった。自分にとって、フレンチコネクションは街の映画だという印象が強くある。あんなどうしようもない男でも静かに街は抱えてしまう。街というのは懐が深い。

 

 

『墓石と決闘』を観た

1967年。ジョン・スタージェス監督。『OK牧場の決闘』よりもずっと面白かった。ワイアットによる復讐で、どんどんと賞金対象が殺されていき、逮捕できないので、賞金も貰えないという状況になっていくのが、とてもおかしい。協力する奴らみんなが、その事でワイアットをなじったりしないのが面白い。最後の最後で、ドク・ホリデイに「復讐だった」と告げるワイアット。「そんなことみんな知ってるっ」とツッコミたくなるこの焦らし方が、実にいい。殺したい奴を殺していくことの願望と躊躇が一体となった物語展開が素晴らしい作品だった。