映画と映像とテクストと

映画や読んだ本などの感想を書きます。ビデオゲームについてはこちら→http://turqu-videogame.hatenablog.com/

『飛行士の妻』を観た

1981年。エリック・ロメール監督。恋人の元カレへの嫉妬から、その元カレへの尾行を行う男。様々な偶然が絡む、どこか皮肉な恋愛喜劇。

撮影監督がネストール・アルメンドロスではなく、ベルナール・リュティック。一目見て、雰囲気の違いがわかる。アルメンドロスのどこか几帳面な感じを与える画面をしばらく見ていたので、最初はちょっと違和感があったが、この感じもいいなと途中から思った。公園のシーンは本当にいい。マリー・リヴィエールの身勝手でやや神経質そうな感じも実にいいが、15歳のリュシィを演じたアンヌ・ロール・ムリの可愛さもいい。16歳とのことだが、もっと大人びて見える。

恥ずかしながら、最後に出てくるリュシィの彼氏が主人公の友人だと全然気がつかなかった(Blu-rayに付いてきたブックレットを読んでようやく気がついた)。

恋愛に絡む、優劣の感覚とその卑しさみたいなものが爽やかに描かれていて面白かった。

『海辺のポーリーヌ』を観た

1983年。エリック・ロメール監督。ロメール作品の中でも、有名な作品というイメージがある。『夏物語』でも魅力的だったアマンダ・ラングレが主演。最初は、ポーリーヌのおばさんであるマリオンは美人だけど、ややダメそうな女性にも見える。しかしラストまで見ると、とても魅力的でその人物像は決して単純ではないと思える。女好きのアンリも、卑屈そうなピエールも、若々しいシルヴァンも、全てテンプレ的なキャラクターに見えながら、そんなものには収まらない側面を持ち、それがいちいち魅力的というのは、見ていてとにかく楽しい映画だった。

プロットも「嘘がどう暴かれていくか」という話であり、分かりやすく面白い。

『モード家の一夜』を観た

1969年。エリック・ロメール監督。数学教師である主人公は教会で出会った金髪美女を見て、一目で「この女性と結婚する」と確信する。一方で、哲学教師である友人に誘われて、なぜかその友人の女友達モードの家に泊まってしまることになる。主人公は、その2人の女性の間でフワフワと漂う。

ロメールらしいプロットの恋愛劇。男は、妙に慎重であったり、急に積極的になったりする。自分を冷静で理性的な、そして素朴なカトリック信者であり、しかし堅苦しいほどではない現代人として、どこか傲慢でいる。そんな思い込みは、すべてモードには見抜かれ、しかし、そのことをどこか心地いいと思ってしまっているようにも見える。

男が女性にどう甘えるか。その様が滑稽に描かれるのはいつも通りだが、ロメール作品の中でも、なかなかに濃い作品だった。軽妙ながら、どこか漂う緊張感のある会話が面白い。

エリック・ロメールの映画は毎回見終わった後に、「くへへ」と気持ちの悪い笑いが出てしまう。なんかそんな自分もややキモく思って少しだけ反省する。

今作は、会話やプロットの面白さはさることながら、ブックレットにあった画面へのこだわりも楽しい作品だった。どの場面もいい。ジャン・ルイ・トランティニャンの情けなそうな顔と、しかし甘い表情が実に憎たらしい。どの画もおさまるべきものがスッポリとハマっている感じがして楽しかった。ロメールの映画は毎回おんなじ話しかしていない気はするのだが、毎回楽しくて、気持ちの悪い笑いが出てしまう。

『パリのナジャ』を観た

1964年。エリック・ロメール監督。14分の短編。Blu-rayのブックレットを読むと、フランス外務省の企画から制作されたドキュメンタリー作品のようだ。モデルになっているナジャは後に社会活動家、作家、教師になる人物とのこと。

セルビア出身の異邦人ナジャがパリを距離感を持って見つめている様子が面白い。淡々と語られているだけなのに、どこか緊張感が漂う。これは撮影監督のアルメンドロスの画が与えている影響も大きいのだろうと妙に思った。

『ヴェロニクと怠慢な生徒』を観た

1958年。エリック・ロメール監督。19分の短編。生意気で勉強にまるでやる気のない少年と、教え方が決して上手そうでもない家庭教師の女性との微笑ましいやりとり。

前半を数学、後半を作文の勉強シーンが描かれる。フランスでも分数の割り算がなぜ逆数になるのかは「説明が面倒なトピック」なんだなとどうでもいいところが面白かった。『クレールの膝』といい、ロメールは脚フェチなんだとネットでも時々見るが、確かにあの靴を脱いだり履いたりするシーンはとても良かった。少年も一生懸命ではないが、家庭教師の女性(ヴェロニク)だって、別に真剣ではないのだ。大人は真剣ではない自分を取り繕うことができるが、子供はまだそれができないだけなんだということがよく分かる。真剣な人間が誰もいない状況で(少年の母親さえそうかもしれない)、あの靴を足で脱ぐ様だけが「真剣」なような気がしてくる。

 

『紹介またはシャルロットとステーキ』を観た

1951年。エリック・ロメール監督。約10分の短編。主演はジャン=リュック・ゴダール。ステーキをコートを着たまま焼く女。それを見る男。無造作な振る舞いがどこか面白い。ちょうど広末涼子の不倫騒ぎがあり、肉を食うと浮気してしまう広末涼子、という話(真偽不明だが)をネットで見て、なんだか広末いいなぁと思った。ゴダールの描きたいものが、日本では芸能ニュースで見ることができる。

本作は音を入れる前に現像所で紛失してしまったそうだ。その後、フィルムが見つかり再上映となったが、登場人物の1人、クララ役(なので、ほとんど登場しない人物だが)にゴダール夫人であるアンナ・カリーナが声を当てている。ゴダールがシャルロット役のアンヌ・クドレとキスをするシーンを見ながら、アンナ・カリーナはどういう気分でアテレコをしていたのだろう。別にどうとも思っていないだろうが。ただ、なんだか、時代とか不遜でふてぶてしい感じがして面白い感じがする。

 

『シュザンヌの生き方』を観た

1963年。エリック・ロメール監督。主人公は薬学部に通う男。彼は親友ギョームの恋人であるシュザンヌを少し小馬鹿にしている。プレイボーイのギョームに弄ばれ、かと言ってそのことを恥じるような雰囲気もないシュザンヌに同情を寄せる気にもならない。その軽薄そうに見えるシュザンヌの生き様を男は明らかに軽蔑する。主人公は、シュザンヌと距離を取りつつ、他の女性(ソフィー)と付き合うなどするが、試験にも落ち、ソフィーとの仲もうまく行かない。最後には、散々下に見ていたシュザンヌが幸せそうに見えてしまってもやもやするという話。『六つの教訓話』シリーズの2作目。55分。

このどうしようもなさがいい。とはいえ、ロメールを見ると毎回同じような感想になってしまう。違う話なのに、なんかいつも同じような話に感じる。面白いからいいのだけど。

男の身勝手さというのが、実によく分かる。ただ、ロメールはそれを「悪い」とか「正当でない」とほとんど思っていないだろう。ただ「みっともなくて、面白い」とかは思っているかもしれない。が、かと言ってそれを反省するような気持ちは持ってなさそうな気もする。そこが、自分がロメールの映画の好きなところでもあるんだろうと思う。