映画と映像とテクストと

映画や読んだ本などの感想を書きます。ビデオゲームについてはこちら→http://turqu-videogame.hatenablog.com/

『サイダーのように言葉が湧き上がる』を観た

2021年。イシグロキョウヘイ監督。俳句を扱う青春アニメ。面白かった。最後のアレを割ってしまうシーンでは「あっ!」と,思わず声を出してしまった。デイサービスとYouTubeやってるチャキチャキの女の子と俳句好きな少年と、色々とチグハグな組み合わせなのに爽やかにつながっていてそこが凄かった。少年もいかにも文学青年という感じでもなく、YouTubeの女の子もそこまでふわふわとしているのでもない。両者ともどこか冷静に自分を捉える。テンプレっぽいキャラクターに見えて、そうでもない「地味さ」が丁寧に描かれていて、そこが良かったのかもしれない。

どこか突き抜けない面白さも、好ましい感じがある。

 

『THE DEPTH』を観た

2010年。濱口竜介監督。面白かった。随分と若々しい感じがしたけれど、2010年の作品なのね。『PASSION』よりも走ってるような印象があった。ヤクザ、男娼、カメラ、友情、結婚。いろんな分かりやすい要素はあるのだけど、どれも分かりやすく撮られてなくて面白い。濱口竜介らしい、いやらしさがあって、しかしサスペンスとしても面白い。楽しい映画だった。なんか全てがチグハグのような気もするのだけど、そこが魅力とも思えるし、何より面白いから良いのだと思う。

しかしなぜ濱口竜介NTR(寝取られ)にここまでこだわるのだろう。別に「寝」てはない作品も多いかもだが(『寝ても覚めても』とか)、この「恋人が奪われる」ことへの異常なこだわりには気になる感じもある。しかもたいていは奪われるのは男性なのだ。社会の中の男性のありようみたいなものを揺るがすような感じがあって、とてもメッセージ性があるように思える。一方、単純に面白いという感覚も強くて、それでいて他人事のような感覚もある。NTR東日本大震災のような、遠そうでいて、しかしとても身近な問題にも感じる。

 

『ゴーストワールド』を観た

2001年。テリー・ツワイゴフ監督。素晴らしかった。こんな素晴らしい映画が2001年にあったことを全然知らなかった。

ソーラ・バーチが本当にステキ。ふわふわとしていて、勝手で、理屈っぽいのに、とても直情的。そのやり場のない怒りや悲しみを掬い取ってくれるのは、来るはずのないバス停に来るあの世とを接続するバスだけ。このイメージも美しい。

「大人になれ」で済ますには、あまりに悲しすぎる悲しみ。ソーラ・バーチのように若くても、そしてあのバス停で待ち続けた老年の男性であっても同じなのだ。年齢や世代に回収されない、もっと普遍的な悲しみがある。自分たちが見ないふりをしていることを、ただソーラ・バーチはあまりに生真面目に見つめ続けるからこそ、あのバスに乗れてしまう(乗ってしまう)のだろう。

『バービー』を観た

2023年。グレタ・ガーウィグ監督。面白かった。細かい設定などは完全に置き去りにして、激しい展開とギャグで2時間を押し切った感じ。『マリオ』の映画の時も思ったが、かなりフェミニズムを直球で投げてくるのだが、これを見る「特に自分をフェミニストだと認識していない人」や、「フェミニズムに抵抗のある人」への配慮(?)が、すごくある脚本でもあった。こういうところは本当に神経が行き届いていると思うし、よくできてるなと思う。(良いか悪いかは別にして)

ただ、なんというか『バービー』という本映画作品よりも、少しだけ今の時代の方が進んでしまっているような気もする。本作のメインターゲット、というものがあるのかどうか分からないが、30代以上の観客にとってはかなりしっくりくる内容である気もするが、もう少し若い観客にとっては、どこか違和感も感じたりするのではないか(例えば、オープニングで赤ん坊の人形を壊すギャグのところとか)。バービーというおもちゃ自体のポジションを私自身よく分かってないからかもしれない。

ギャグなので、どこまで「真剣」かを語ることには虚しさがあるが、『バービー』の世界の気持ちの悪さというものを序盤にあれだけ明確に見せておいて、「でもフィクションって、過酷な現実を乗り切るための工夫だよね」と最後はオチをつける。これは中々に図々しい主張のようにも思える。またやや曖昧であったものの「バービーを卒業する」みたいなこともちらつかせて最後を締めくくるのは、どこか「やり逃げ」にも感じる。とは言え、別に卑怯とか不誠実とか、そういうことは全く思わない。すごく誠実に色々と語っていると思うけれど、まさにこの映画が、その過酷な現実を生きる人を救っているのは、中盤に語られる現実世界の人々を滑稽かつ愚かに描いて笑い者にするという、その溜飲下げの展開だろう。そういう田舎者の無教養を笑うような快感を得ておいて、その上で説教もするというのは、どこか自分の足を食ってしまっているような、落ち着きの悪さも感じさせる。マテル社経営陣の行末をうまく着地させられなかったことと、なんだか謎の権威を持ったエリザベス女王のような創業者ルース・ハンドラーを出して終わらせるというのも、こうした様々なもののせめぎ合いの苦しさを逆に感じさせる。

バービーの定番が常にルッキズムを前提にしたおもちゃである以上、その「しっくりこなさ」は宿命的であるような気もするので、そういう意味ではかなり真面目にバービー自身に向き合った誠実な映画だとも思える。いずれにしろ、面白かったから良いと思う。

本作は、おそらく男性も楽しめる。ただ、それはここに描かれたことが、やはり少し古い話だからではないかと思う。男性でも心の余裕を持って、戯画的に受け止められるような少し古い話。だからこそ安心して楽しめる映画だし、とても楽しいのだけど、人の心を抉るような鋭さや新鮮味に少しだけ欠けるようにも感じる。

白人ケンもアジア人ケンも悩みを抱えている存在だが、これが「不釣り合いな被害者意識」を抱いてしまっている男性を表現することが主眼なのか、それとも、女性がこれまで感じてきた違和感を男性に逆投影することが主眼なのか、どちらなのだろうか。この辺りも、やや分かりにくいところがあるなと思った。

そして、男性であっても、ケンたちより、どちらかと言えばバービーの方に感情移入しやすいように思った(主人公なんだから当たり前かもしれないが)。本当はもっとケンたちに思い入れを持ちやすいと、男性としては本映画の色々なメッセージが受け取りやすかったのかもしれない。

『リコリス・ピザ』を観た

2022年。ポール・トーマス・アンダーソン監督。面白かった。1秒も覚えていない『インヒアレントバイス』も面白かった記憶があるが、PTAのじわじわくる面白さはどこかよそよそしさも感じる。日本人には直感的には掴み取れないローカルな肌感覚のようなものがあり、それを十分に理解できてない気がする。本作もまた、映画と自分の間に薄いベールがずっとあるような感覚がある。しかしそれでも魅力的な絵と脚本で楽しくなってしまう映画でもある。

年上女性との甘えたり、ぶつかり合ったりするこの微笑ましいのにグロテスクにも見える恋愛劇は、最後まで爽やかではないのに、見終わった時には不思議と清々しい気持ちになる。

『ガフールの伝説』を観た

2010年。ザック・スナイダー監督。
ふくろうたちの物語。悪いふくろうを良いふくろうが退治する冒険譚だが、登場人物がすべてふくろなのが面白い。

原作は有名な児童文学(?)のようだが、なぜふくろうなんだろうと思ってしまった。まあふくろうは魅力的な生き物なので良いと思う。これがウサギやクマだとあまり疑問に思わないのかもしれないが、鳥類だと途端に不思議に思える。いずれにしろ話自体はとてもよくできた物語。映画としては空中戦の見応えが素晴らしく、ふくろうであることが存分に生かされている。スナイダーらしいスローモーション演出は少なめながらとても自然に使われている。ふくろうたちの、かっこいいこと。
終盤、『名誉とは弱さだ』というセリフがある。これを敵組織に行ってしまった主人公の兄に言わせるところがいかにもザック・スナイダーといった感じがある(原作にもあるセリフなのか?)。敵組織は実力主義の弱肉強食の世界。逆に主人公は物語で読む勇者に憧れを抱き、多くのふくろうを美しく統治する世界を範としている。先のセリフを悪役が言わざるを得ない悲しさ。なかなか良かった。

続編とかがあれば良かったのに。本当に素晴らしい作品だった。

『ベオウルフ 呪われし勇者』を観た

2007年。ロバート・ゼメキス監督。いやぁ、バカっぽい。でも大好きな作品。第一部と第二部で話が分かれているけど、映画オリジナルの部分も含めて、とてもキレイにその2つの話が繋がっている。よくできている作品だと思う。けっこう、感心する脚本の出来。素晴らしい。

10年ほど前に見た時も、CGアニメ化した人間の一部にすごい違和感があって、それは何に感じるのか不思議だった。肌質?光の加減?1番感じたのはフロースガード王の重臣役アンファース(ジョン・マルコヴィッチ)の見た目の違和感。王とか女王や主人公にはそこまで違和感はなかった。なんでなんだろうな。

映画は神話的な印象強いが(泳ぎの競争のところとか)、ベーオウルフの原作もそういう神話的な雰囲気が強いのだろうか。8〜9世紀という中世に成立した物語だとのこと。

アンジェリーナ・ジョリーの使い方が最高の映画の一つだろうと思っている。