映画と映像とテクストと

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『逃亡者』を観た

1947年。ジョン・フォード監督。「逃亡者」と聞くと1963年のアメリカのドラマ、医師リチャード・キンブルが無実の罪から逃げる作品を思い起こすが(と言っても私はそのドラマ、1話も見たことなく、ハリソン・フォード主演の1993年のリメイク版の映画しか見たことがない)、本作は全く違うイメージの作品。フォード作品の中でもあまり有名ではない作品ではないかと思う。

宗教弾圧の激しい南米の某国で、主人公の神父は逃げ回りながらも、求める者たちに拒否することなく秘跡を授けて、最後は政府に捕まり処刑されるまでの物語。キリスト受難の寓話であり、とても宗教的な主題の一作。

Blu-rayに同梱されている遠山純生氏の解説によると、原作者のグレアム・グリーンは本作を「我慢ならない」と強く非難しており、その理由として主人公が私生児を設けているという設定が映画では完全に落ちている点にあるとしている。原作ではウィスキー神父とあだ名され、いわば堕落した神父なのだが、そうした神父が信仰に身を捧げるという原作の逆説的な要素が、映画にはほとんど見られない。映画版の主人公は、自らをうぬぼれていたと自己批判するような場面はあるものの、終始高潔な人物として描かれている。原作者からしたら、確かにこれは元々のモチーフをえらく単純化した薄っぺらい物語にされてしまったと考えるだろう。

ただ、このシンプルさこそが、逆にこの映画の力強さでもあるように感じる。メキシコ人の撮影監督であるガブリエル・フィゲロアの撮るコントラストの激しいその映像はストレートでありながら、やはり有無を言わせない迫力がある。映画が持つある種のシンプルさ、分かりやすさを再び信じさせるような妙に体幹の強い映画であることは否定できない。これはこれで完成してるなという印象がある。フォード監督自身も気に入っている作品のようで、「芸術的表現」を追求したというフォード自身の言葉も、額面通りに受け取る以上の達成を、図らずもしてしまっているように思う。とそんな言い方はフォードに失礼なのかもしれないが。

この作品を見ると、怠惰なものが神聖な存在になるという発想の方が、むしろ俗っぽいのではないかという感覚を与える。そこが映画の持つ力なのかなと思う。