映画と映像とテクストと

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『ザ・スーパー マリオブラザーズ・ムービー』を観た

2023年。アーロン・ホーバス監督、マイケル・イェレニック監督。

びっくりした。面白かった。子供も楽しめる無意味さとノスタルジーを刺激する要素のバランス感覚が見事な映画だった。これに比べると『名探偵ピカチュウ 』(2019)などは、単にポケモンの出てくるだけの映画のように思える。それだけ、ゲームのキャラクターであるマリオだからこその作品になっていた。見事な出来だった。

本作は、ゲームやマリオへの愛がある作品だと言われる。確かにそういう見方もあるだろう。しかし愛とは少し違う気がする。劇中にかかる数々の懐メロ、"Take on me"や"Holding Out For a Hero"が私たちの血肉となって私たちを形成するのと同じように、マリオの音楽やキャラクターもまた私たちの一部であること。それを表現したことに対する嬉しさが、多くの観客の心を捉えたのだろう。それは愛というより、コモンセンスの再認識というか、私だけと思っていた感覚が、実は多くの人で共有できる感覚だったのだと認識できる喜びのようなものだと思う。私たちがマリオで育ったことを、当たり前に肌感覚で理解している世代が、ほとんど当たり前のものとしてマリオを描く。それが、世界中に仲間を見つけた嬉しさに繋がっているように思う。おそらく「世界中でヒットしているらしい」という情報もまた、この嬉しさや楽しさに貢献している面は大きいだろう。それゆえ、このマリオ文化圏に属していないと、この映画が何を描きたいのかが伝わりにくいところはあるかもしれない。

ピーチ姫によるクッパ評が「頭おかしい(意訳)」という単純さであること、ルイージとマリオの兄弟愛がそこまで湿度が高くないこと、ドンキーコングの爽やかなのに少し屈折した感情を垣間見せるセリフがあること、マリオとドンキーコングが親に対するわだかまりを持っていること、星の子チコ(?)が死を解放だとやたらブラックなことをいうところなど、脚本もまた非常に素晴らしかったと思う。わざとらしくて、白々しいセリフがほぼなかったところも良かった。「かわいいのに飽きました」と語るのがピノキオなのも上手い。ピーチ姫にそんなセリフを言わせていたら、おそらく興醒めしてしまっているだろう。キノピオが「姫を守ります!」と力強く言い切る場面も良かった。「姫を守る」なんてやや古めかしいセリフをあれだけ今の時代感覚と衝突しないで言わせることができたのも、それまでの過剰なキノピオのかわいさ自慢があるからであり、そういう工夫が素晴らしかった。そのあたりの安心感が映画の序盤から感じられた。

また、昨今はやりのマルチバース設定ではあるものの、必要以上に複雑にすることなく、また映画前半の小道具が後半で丁寧に生かされる構成も本当によくできている。ピーチの「世界によって結構ルールが違うのね」というセリフも良かった。このフィクション世界の荒唐無稽さに対するさらっとした言い訳になっているとともに、多様性に対する非政治的な(という極めて政治的な)ポジティブ意見となっている。ピーチ姫は、とてもパワフルなキャラクターだが、その役どころに付いてしまいそう臭みが殆どなかったのが良かった。

マリオの「マンマミーア」のしつこさとクランキーの「カートの用意じゃ」のややわざとらしいセリフに若干のウザさを感じたが、個人的な不満はそのぐらいかもしれない。また吹替で見たが、特に違和感もなく素晴らしかった。総じて、媚びているんだけど、いやらしい媚び方をしていない作品だったと感じた。

ところで、タイトルの"the"の位置が、先頭なんだなぁと今更ながら思った。マリオシリーズのゲーム作品で頭に"the"が付いている作品はないように思う(知らないだけかもだが)。この"the"はどういうニュアンスで英語圏の人には伝わっているのだろうか。少し知りたい気がする。