映画と映像とテクストと

映画や読んだ本などの感想を書きます。ビデオゲームについてはこちら→http://turqu-videogame.hatenablog.com/

『バービー』を観た

2023年。グレタ・ガーウィグ監督。面白かった。細かい設定などは完全に置き去りにして、激しい展開とギャグで2時間を押し切った感じ。『マリオ』の映画の時も思ったが、かなりフェミニズムを直球で投げてくるのだが、これを見る「特に自分をフェミニストだと認識していない人」や、「フェミニズムに抵抗のある人」への配慮(?)が、すごくある脚本でもあった。こういうところは本当に神経が行き届いていると思うし、よくできてるなと思う。(良いか悪いかは別にして)

ただ、なんというか『バービー』という本映画作品よりも、少しだけ今の時代の方が進んでしまっているような気もする。本作のメインターゲット、というものがあるのかどうか分からないが、30代以上の観客にとってはかなりしっくりくる内容である気もするが、もう少し若い観客にとっては、どこか違和感も感じたりするのではないか(例えば、オープニングで赤ん坊の人形を壊すギャグのところとか)。バービーというおもちゃ自体のポジションを私自身よく分かってないからかもしれない。

ギャグなので、どこまで「真剣」かを語ることには虚しさがあるが、『バービー』の世界の気持ちの悪さというものを序盤にあれだけ明確に見せておいて、「でもフィクションって、過酷な現実を乗り切るための工夫だよね」と最後はオチをつける。これは中々に図々しい主張のようにも思える。またやや曖昧であったものの「バービーを卒業する」みたいなこともちらつかせて最後を締めくくるのは、どこか「やり逃げ」にも感じる。とは言え、別に卑怯とか不誠実とか、そういうことは全く思わない。すごく誠実に色々と語っていると思うけれど、まさにこの映画が、その過酷な現実を生きる人を救っているのは、中盤に語られる現実世界の人々を滑稽かつ愚かに描いて笑い者にするという、その溜飲下げの展開だろう。そういう田舎者の無教養を笑うような快感を得ておいて、その上で説教もするというのは、どこか自分の足を食ってしまっているような、落ち着きの悪さも感じさせる。マテル社経営陣の行末をうまく着地させられなかったことと、なんだか謎の権威を持ったエリザベス女王のような創業者ルース・ハンドラーを出して終わらせるというのも、こうした様々なもののせめぎ合いの苦しさを逆に感じさせる。

バービーの定番が常にルッキズムを前提にしたおもちゃである以上、その「しっくりこなさ」は宿命的であるような気もするので、そういう意味ではかなり真面目にバービー自身に向き合った誠実な映画だとも思える。いずれにしろ、面白かったから良いと思う。

本作は、おそらく男性も楽しめる。ただ、それはここに描かれたことが、やはり少し古い話だからではないかと思う。男性でも心の余裕を持って、戯画的に受け止められるような少し古い話。だからこそ安心して楽しめる映画だし、とても楽しいのだけど、人の心を抉るような鋭さや新鮮味に少しだけ欠けるようにも感じる。

白人ケンもアジア人ケンも悩みを抱えている存在だが、これが「不釣り合いな被害者意識」を抱いてしまっている男性を表現することが主眼なのか、それとも、女性がこれまで感じてきた違和感を男性に逆投影することが主眼なのか、どちらなのだろうか。この辺りも、やや分かりにくいところがあるなと思った。

そして、男性であっても、ケンたちより、どちらかと言えばバービーの方に感情移入しやすいように思った(主人公なんだから当たり前かもしれないが)。本当はもっとケンたちに思い入れを持ちやすいと、男性としては本映画の色々なメッセージが受け取りやすかったのかもしれない。

『リコリス・ピザ』を観た

2022年。ポール・トーマス・アンダーソン監督。面白かった。1秒も覚えていない『インヒアレントバイス』も面白かった記憶があるが、PTAのじわじわくる面白さはどこかよそよそしさも感じる。日本人には直感的には掴み取れないローカルな肌感覚のようなものがあり、それを十分に理解できてない気がする。本作もまた、映画と自分の間に薄いベールがずっとあるような感覚がある。しかしそれでも魅力的な絵と脚本で楽しくなってしまう映画でもある。

年上女性との甘えたり、ぶつかり合ったりするこの微笑ましいのにグロテスクにも見える恋愛劇は、最後まで爽やかではないのに、見終わった時には不思議と清々しい気持ちになる。

『ガフールの伝説』を観た

2010年。ザック・スナイダー監督。
ふくろうたちの物語。悪いふくろうを良いふくろうが退治する冒険譚だが、登場人物がすべてふくろなのが面白い。

原作は有名な児童文学(?)のようだが、なぜふくろうなんだろうと思ってしまった。まあふくろうは魅力的な生き物なので良いと思う。これがウサギやクマだとあまり疑問に思わないのかもしれないが、鳥類だと途端に不思議に思える。いずれにしろ話自体はとてもよくできた物語。映画としては空中戦の見応えが素晴らしく、ふくろうであることが存分に生かされている。スナイダーらしいスローモーション演出は少なめながらとても自然に使われている。ふくろうたちの、かっこいいこと。
終盤、『名誉とは弱さだ』というセリフがある。これを敵組織に行ってしまった主人公の兄に言わせるところがいかにもザック・スナイダーといった感じがある(原作にもあるセリフなのか?)。敵組織は実力主義の弱肉強食の世界。逆に主人公は物語で読む勇者に憧れを抱き、多くのふくろうを美しく統治する世界を範としている。先のセリフを悪役が言わざるを得ない悲しさ。なかなか良かった。

続編とかがあれば良かったのに。本当に素晴らしい作品だった。

『ベオウルフ 呪われし勇者』を観た

2007年。ロバート・ゼメキス監督。いやぁ、バカっぽい。でも大好きな作品。第一部と第二部で話が分かれているけど、映画オリジナルの部分も含めて、とてもキレイにその2つの話が繋がっている。よくできている作品だと思う。けっこう、感心する脚本の出来。素晴らしい。

10年ほど前に見た時も、CGアニメ化した人間の一部にすごい違和感があって、それは何に感じるのか不思議だった。肌質?光の加減?1番感じたのはフロースガード王の重臣役アンファース(ジョン・マルコヴィッチ)の見た目の違和感。王とか女王や主人公にはそこまで違和感はなかった。なんでなんだろうな。

映画は神話的な印象強いが(泳ぎの競争のところとか)、ベーオウルフの原作もそういう神話的な雰囲気が強いのだろうか。8〜9世紀という中世に成立した物語だとのこと。

アンジェリーナ・ジョリーの使い方が最高の映画の一つだろうと思っている。

『男はつらいよ 純情篇(6作目)』を観た

1971年。山田洋次監督。オープニングの長崎五島の実家に戻る女性を助けるエピソードがいい。その女性役が宮本信子で、その父親が森繁久彌。この最初のエピソードがいきなりグッとくる。そして、とらやに住み込みになる若尾文子がマドンナ。美人すぎるその風貌だけで、なにか生きてる環境の違いを感じさせるのも面白い。

そして毎度のことながら寅さんとさくらの会話が泣かせる。隙のない作品だった。良かった。

『美しき結婚』を観た

1982年。エリック・ロメール監督。それなりにステータスのある男性と結婚することで、惨めな人生を一発逆転したい女性の奮闘の物語。

しかし、エリック・ロメールは女性を主人公にしたエグい恋愛話をよく書けるなぁと本当に感心する。

その「こう考えるんだろうな」みたいなことを堂々と異性でありながら描けるというのは、どこか頭のネジが外れているんじゃないか?って気もする。一方で、突き抜けた独りよがりな世界観は、どこか普遍性を持つのかもしれない。

主人公の母親が実にいい。愛の物語だと思う。

『君たちはどう生きるか』を観た

2023年。宮崎駿監督。結構、分からない映画だった。母親の存在が大きそうな印象もあるのだけど、やはりメインはアオサギとの関係が主題なのかな?と思った。

自分の頭の中だけで考えて、自分の力だけで物事が進められると考えることの傲慢さ。主人公が自分の頭を自ら傷つけたことが悪意であるのは、罪をなすりつけることもなく、ひとり高邁に他者から遠ざかろうとすることの傲慢さを示しているのかもしれない。

叔父は宇宙人の超越的な知性への追求に突き進み、ひとり孤独な世界で理性の積み木を積むような行為にふけった。彼の誘いを断り、戦争や家族など色々醜いこともあるけれど、現実的な世界で制約のある世界で生きていこうとする物語なのだと解釈した。

そう考えると、実の母親は別にしても、継母は「気持ちの悪いもの」やタブー的な性のイメージなのかなと思うし、父親もまた気持ちの悪いものの一つなのだろうと思う。気持ちの悪いものを受け入れつつ生きていく。どう生きるか?を問うときに、受け入れ難いものを受け入れて生きていくことを表現するのは難しい(ありがちなテーマでもあるとは思うものの)。それが処世訓じみた単なる現状追認となってはつまらないだろうし、かと言って空想に耽るのもどこか地に足が着いてない感じがする。よくよく考えるとそれは、その悩ましさは、何かを表現する時一般に通じる話なのかもしれないと思った。